人生観的な

人生、すなわち生きること、死ぬことについて、本質的な意味は無いと私は考えています。

私は何らかの意思をもって生まれたわけではなく、この世から、あるいは親から、意味や存在意義を与えられたわけでもありません。

ただこの空間・時間に有限的に在るだけの、それ以上も以下もない存在であると、私自身をそのように認識しています。

生きることに本質的な意味は無くとも、私は生きることを望んでいます。

それはやりたいこと・実現したいことがあるから、というのも1つの理由でしょうが、仮にそれらが無かったとしても、更には十分なお金が無かったとしても、私は生きることを望むだろうと思います。

何故ならば、生きているからこそ何かを行い、何かを感じることができるからです。

夜風に当たった時の心地よさ、週末に仲間と飲むビールの旨さ、好きな人と過ごす時間の感情の高まり、それらは生きている者だけが感じられる、有限的な特権です。(最近はトイ・ストーリー5 を見て、あまりの面白さに感動しました)

私は生きているからこそできること、生きているからこそ感じられることを積み重ね、経験と思い出を胸に死を迎えたいと、そう考えています。

生きているからこそできることとは、何もこの世で触れることのできる全てではありません。(死の間際に1日中 TikTok を見れなかったことを悔やむ人は恐らくいないでしょう)

人生は恐らく非常に短い。

しかし、自分の本当にやりたいこと、その経験と思い出を積み重ねるには、十分に豊かな時間があると思います。